
Vol.9 プッチーニ原作 「トゥーランドット」
本報告書は2007 8/16 神奈川県立平沼高校内小ホール・10/30./31 Baysideコンテナ劇場で行われました横浜市高校演劇連盟・横浜ふね劇場を作る会・ルームルーデンス主催のエデュケーションプログラムVol.9「トゥーランドット」の報告書です。
以下にその詳細を記し、今後の参考、指針にして頂ければ幸いです。
横浜市高校演劇連盟の夏の企画として前事務局長吉倉先生より依頼があり、2003年7月、2日に渡るワークショップを経て、2004年、第一回目としてBAKArt1929馬車道ホール、2005年二回目として神奈川県立横浜桜陽高校内大階段に於きまして実現に至りました。本年は神奈川県立平沼高校内小ホールでのプレ公演、第1回横浜フリンジフェスティバル参加作品・Baysideコンテナ劇場での公演を実施いたしました。
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プレ公演 神奈川県立平沼高校(〒220-0073 横浜市西区岡野 1-5-8 TEL 045-313-9200)
本公演 Baysideコンテナ劇場
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プレ公演 |
8/16 |
15:00 |
観客動員数100名 |
本公演 |
10/30 |
19:30 |
観客動員数60名 |
10/31 |
19:30 |
観客動員数100名 |
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計260名 |
| 本公演インフォメーション | 横浜フリンジフェスティバル コンテナ劇場 |
| 10/30.31 19:30 | |
| 主催 | 横浜市高等学校演劇連盟 |
| 横浜ふね劇場をつくる会 | |
| ルームルーデンス | |
| 後援 | 神奈川県教育委員会 |
| 横浜市教育委員会 | |
| 助成 | UFJ信託地域文化財団 |
| 演出 | 田辺久弥(ルームルーデンス) |
| 照明 | 川田崇 |
| 音響 | 笠原玄也(H2sound) |
| 協力 | 柿澤亜友美(ルームルーデンス) |
| 高木菜緒(ルームルーデンス) | |
| THANKS | 津久井火工 |
| 横浜市立みなと総合高校吹奏楽部 | |
| 未来演劇人シアター | |
| ZAIM | |
| studiosalt | |
| 鈴木啓文 | |
| 北島莉恵 | |
| 南好洋 | |
| 郷地健人 | |
| 田島知世 | |
| 宇佐美陽子 | |
| 柏木舞子 | |
| 花本光 | |
| 斎藤周平 | |
| 稲冨和真 | |
| 澤田直弥 | |
| 提灯 | 浅井鮮魚(2口) |
| アラマーリ戸塚店 | |
| 安藤薬局 | |
| 井野写真 | |
| 大竹屋 | |
| “おしゃれの部屋 あけみ化粧品店” | |
| (有)越野商店 | |
| サロンド・ボーテ とつか | |
| (株)ときわや | |
| (有)戸塚ケア・サービス | |
| 戸塚デパート | |
| なかむら経師表装店 | |
| 任天堂薬局 | |
| ヌマヤ 弘明寺店 | |
| ブティック 花りん | |
| (株)フリージア | |
| ミスターリペア | |
| やまとや |
| 本公演 | |
| 名を秘めた王子 | 松田俊彦 |
| トゥーランドット | 江頭麻美 |
| 皇帝アルテゥム | 東享司(studiosalt) |
| ティムール | 須藤旭(2004・2005年参加者) |
| リュー | 黒澤笙子 |
| ピン | 藤森奈緒(2004年参加者) |
| ポン | 皆川ちひろ(2003年WS参加者) |
| パン | 三森伸子 |
| プン | 長峰理子(2004年参加者) |
| ペン | 丸山咲子 |
| ペルシャの王子 | 石井大海 |
| 役人 | 古江麻梨 |
| 鈴木滉平 | |
| プレ公演 | |
| 名もなき王子=カラフ | 松田俊彦 |
| トゥーランドット | 江頭麻美 |
| 皇帝アルテゥム | 東享司(studiosalt) |
| ティムール | 石井大海 |
| リュウ | 藤森奈緒 |
| ピン | 郷地健人 |
| ポン | 佐藤瑞希 |
| パン | 三森伸子 |
| ペルシャの王子 | 木下智巳(studiosalt) |
| 群衆 | 黒澤笙子 |
| 西沢夏子 | |
| 藤原愛梨 | |
| 田島知世 | |
| 宇佐美陽子 | |
| 古江麻梨 | |
| 丸山咲子 | |
| 松永怜珠 |
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古代中国、北京。世にも美しいトゥーランドット姫は、「姫に求婚するものは3つの謎に答えなければならない。誤れば首を斬られる」というおふれをだし、多くの国々の王子達が謎に挑んでは殺された。
ペルシャの王子が処刑される日、戦乱で離れ離れになっていた、タタールの老王と王子カラフがめぐり合った。喜びもつかの間、カラフはトゥーランドットの姿に心を奪われ、3人の大臣ピン・パン・ポンや、止める父と女奴隷リューを振り切って、ドラを鳴らし謎に挑む宣言をする。皇帝の前で、カラフはトゥーランドットの出す謎を次々と解き、北京の民衆はカラフの勇気をたたえる。動揺し、かたくなにカラフを拒むトゥーランドットに、カラフは「今度は私がひとつだけ謎を出そう。明日の朝までに私の名が分かったら、私は死ぬ」と約束する。
本公演 舞台写真
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プレ公演 舞台写真
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本公演
通常の報告書での経過は事実と状況の推移を記したものですが今回に限り状況に対する「思い」が多々書かれています。エデュケーションプログラムの中でも一際特殊な公演であり、ここで書かれた問題点が即そのまま改善点であることも併せてご理解下さいますようお願いいたします
8/16のプレ公演を終え、プレ公演参加者は地区大会の作品づくりに入りました。
地区大会が10/6.7.8、中央大会が10/20.21、平日は夕方まで授業、本番も夕方まで授業という近年まれに見る悪条件を抱えながら始まったトゥーランドット本公演の稽古はまさに悪戦苦闘の日々でした。
プレ公演経験者が6人減り、代わりに2004年の参加者が3人、新たに高校生が1人増えました。全体で見ると2名減ったのですがこの増減はすなわち最初からチーム作りをしなければならないということと同義でした。
まず最初に行ったのがこの状況で芝居のレベルを保てるよう役の編成を変えることです。プレでリューをお願いした方が2004年のピンポンパン経験者であることを考慮し、群衆を全カット、ピンポンパンにプンペンという二役を増やし群衆化する編成を取りました。元々の台本、2004・2005年と繰り返してきた演出プランとも「群衆劇」を大前提としている作品で、しかも稽古日数は9日と決まっていたので大変苦しいスタートでした。
プレから続けてきた方には同じ役をやってもらい役の掘り下げ方をさらに増して臨んでもらいたい願いがあった為、上記リュー役の変更にとどめ、何とか個々の力で表現の突破口を開けて欲しいと懸命に取り組みましたが地区大会等の理由からか、例年夏休みを利用した芝居作りとは勝手が違い遅々として進まぬ現状を抱えたまま、10/14フリンジフェスティバルの一環、フリンジ7にて30分のデモンストレーションを行ったわけです。
3幕のリューのカミングアウトから、リューの死、そして名を秘めた王子とトゥーランドットとのマイブラッサムが終わるまでを上演しましたが、正直申しまして非常に悪い結果でした。お昼からの上演でしたので、その後ZAIMに戻り再度の役の編成を行いました。
群衆劇であれば、まさに群衆の勢いを作品に取り込む方法でトゥーランドットは成立させてきました。以前は20人以上いた群衆が0人である以上、各自に託された作品への責任はいや増すばかりです。酷かと思いましたが作品を観客に届けるという大前提を成す為この日を境にエデュケーションの現場らしからぬエンジンを吹かせ始めました。
初めは予定されていなかった10/24.26夕方から22時までの稽古を増やし、最終稽古10/27.28は午前10時から午後10時までの1日12時間、2日で24時間の稽古。無尽蔵の体力の高校生もさすがに根を上げる寸前まで行ったと思います。それでも作品が元々持っているエネルギーに触れ始めたのが27日の夕方過ぎだったと思います。ちょうどコンテナ劇場ではテントシートが吹き飛ばされるほどの台風が直撃している最中の稽古、ほんの少しだけですが「トゥーランドット」という芝居が動いた感触がありました。しかしそれは高校生達が作り上げたものではなく、私が役として参加した中で押し上げたものでした。翌28日も前夜動いた感触を抜かすことは出来ず、大変な不安を抱えたままの劇場入りになりました。
劇場に入ってからも悪条件は続きました。10/27に台風で吹き飛んだテントシートは仕込み日の午後3時に補填が間にあわないことが分かり、屋根がない、半野外での公演が決定しました。私は2001年のギリシャ公演以降劇場が持つ力を最大限に作品に引き込む演出を基本にしています。ギリシャの野外劇場では舞台奥がそのまま荒野であったり山であったり海であったり森であったりするわけです。そこに人工物であるセットを置くことがいかに陳腐であるのかを目の当たりにしてきた身として以降エデュケーションも含め土地や建物・劇場そのものが持つ力・機構を味方につける方法を実践してきました。そのような思考で編み上げた演出プランは天幕が急遽なくなり空間の密度が俄然変わった現状に対し根底から考え直さなければならなくなったわけです。
高校生は授業があり夕方からしか入れない状況、屋根があることを前提として組んでいた舞台セットプランを白紙に戻し屋根がない状況でのセットプランを現場で考えながらの仕込み、細かい出ハケの変更、舞台奥テントシートの振り上げ装置の故障、観客席の後方2/3のエリアから舞台奥テントシートの上手上にみなとみらいの大観覧車が見えてしまい、観覧車が脳天気に電飾の花を咲かせ続ける状況は照明家もお手上げの状態でした。
全く持って悪条件の限りを目の当たりにしながら様々なセクションのレベルを下げれば簡単になるかもという思いが頭をよぎりましたが、どんな状況でもプロがレベルを下げるという行為を見せてはいけないという思いとのせめぎ合いが続きました。
きちっとした仕込みを経験したことのない出演者がやる仕込みは時間ばかりが浪費される面もありました。振り落とし、花火の仕掛けなど野外になったことで驚くほど舞台裏の作業が増えてしまい、この三日私がやっていたことは殆ど舞台監督としての仕事でした。5mを超えるコンテナに本番中に3回上り下り、振り落としが4回、テントシートの持ち上げ、階段の設置、イントレ舞台の移動が2回、イントレの180度回転。外でフリーのシーリングの振り回し。
要するに27日の夕方過ぎの芝居の状態をさらにあげる時間的余裕が私自身になくなったわけです。本番中の裏の手伝いも今回は人数が集まらず、プリセットに数時間かかる状態を抜け出せませんでした。あとは出演者を信じることしかできない状態になり、エデュケーションの現場としてこれはどうなんだ、と思いました。高校生の本番の強さは今まで幾度となく体験してきました。しかしそれはうまくリードしてあげる大人が必ず目線のどこかにいることが大切だと考えてきたわけです。けれどこの3日間の私はプリセットやその他諸々の裏の作業に追われ続けました。本番に強いことは分かっていますが、野外、イントレ、振り落とし、イントレ移動など普段やらないような、一歩間違うと事故につながるようなことを私が常に横にいられない状況でやらざるを得えない現状を正直呪っていました。
ゲネプロは全てが裏目に出ました。何もかもうまくいきませんでした。とくにトゥーランドット陥落のショットは女性陣だけでは持ちこたえられず、ティムール役が芝居を捨ててフォローに入ったほどです。ゲネプロを見ていただいた三菱UFJ信託財団の方も心配なさるほどの一瞬でした。
ゲネプロ終了後から本番までの1時間にフリンジフェスティバル実行委員長から本編最終シーンに使用する「ナイアガラの滝」の使用不許可の連絡が入りました。
ここでこの芝居を取り巻く状況に切れかかったのを憶えています。私は演出家という立場上かなり我慢強い自負があります。物事を最後まで粘りに粘る自信もあります。しかし10/6いや、8月のプレ公演から続くあまりの悪戦苦闘に切れかかったのを憶えています。
時間がない中、私は10分だけ散歩に出かけました。
そして帰ってきた私は、出演者個々に声をかけました。良い意味でビビッテいるのか、悪い意味でビビッテいるのか見極めたかったからです。彼ら彼女らの目をもう一度しっかり見たかったからです。私は全神経を集中して皆の状況を把握したかったのです。
私はふっと2004年9月ギリシャ・ケファロニア島でのエデュケーションプログラム「サロメ」の本番直前を思い出しました。あの時もギリシャサイドは高校生程度とタカをくくって充分な用意をしてくれませんでした。しかし私達が作り上げた「サロメ」は全編書き下ろしでのピアノの生演奏と共に、店頭販売では最大級のひな壇に本物の雛人形を数十体かかげた舞台セットを持ち込んだ本格的なものでした。しかも自力で渡航費450万円を捻出して渡希した企画でした。
ゲネから本番までもやはり1時間程度しかなかったと思います。サロメ役はメイクをし終わった途端に舞台に出ていくほどでした。客席も300人埋まっていましたが携帯はなるは、子供は走ってるは、とても静謐な「サロメ」の世界を上演する雰囲気ではなかったのですが結局1時間後場内は静謐さと、その後の万雷の拍手に包まれました。
それは何故か?それは当時の参加者が自分たちの作品に絶対の自信を持っていたからです。
私は探していました。どんな悪条件でも絶対やってやる、と物語る真摯な目を。そしてコンテナ劇場の楽屋や、舞台上で全員に声をかけながらあの時の「目」と同じ「目」をいくつも発見してしまいました。逃げ場のない、表現者の「目」をいくつも発見してしまったのです。もう、私がやることは5分だけ全員と話しをするだけで充分でした。
「一期一会」
私が皆に贈った言葉はこれだけです。ただし最大限の念を込めて贈りました。
本番は素晴らしい出来でした。ゲネの失敗は思わぬジャンプ力を生んだわけです。失敗という大地を踏みしめることが出来たわけです。
初日は多少お客の入りが薄かったのですが二日目は満員になり、初日不許可になった「ナイアガラの滝」も万全の準備の元、二日分炸裂させました。ルーデンスの劇団員に頼んで事務所から持ってきたビデオカメラに気づいたのは全てばらした時で、なんと「ナイアガラの滝」が炸裂した2日目は誰もビデオを撮影していませんでした。しかし私の目の前で夜空を焦がした光の滝はこの芝居を象徴していました。
猛烈に炸裂する花火は誰も止めることは出来ない。ただただそれを美しいと感じ、感激に浸ればよろしい。
私はコンテナの上をはいずりながら、舞台奥テントシートの裾から、客入り口の隙間から、客席奥銅鑼の横から、見られる限り芝居を見ていました。「押せ、押せ、押せ、押せ」と念を込めながら!
トゥーランドットが来年以降も続き、状況が改善され3.40人の参加者を得る状態に戻ったとしたら、逆に2007年度版「トゥーランドット」は語り継がれるべきです。12人の学生でも3.40人に比するパワーを出せたのだと。
「10代でも出来るのだ!」「10代でもやって良いのだ!」いやいや「10代でもやれるのだ!」
いや「やれた」のだと。
稽古日程
10/6(ZAIM)10/7(ZAIM)10/8(ZAIM)10/13(ZAIM)10/14(ZAIM)10/20(ZAIM)10/21(ZAIM)10/24(ZAIM)10/26(ZAIM)10/27(ZAIM)10/28(ZAIM)
プレ公演
2004年、2005年と徐々に規模を大きくしてきた当企画ですが2006年度は資金難から中止となってしまいました。最後の最後まで国、あるいは地方自治体へ働きかけ続けましたが本企画の「受け皿」に思考を巡らさなくてはならないと強く確信させられた1年でした。
その2007年度に入り過去の公演でもご協力を頂いていました「横浜ふね劇場を作る会」の一宮さんから連絡を頂き、横浜で新しい団体「演劇創造プロジェクト神奈川」が総会を開き運営を始めるという連絡を頂き、私どもから一宮さんへこの企画をお任せできないかというお願いをしました。当初の理念を良くご理解いただいていた一宮さんの意向でみなとみらい地区「臨港パーク」内水上公園での野外公演を前提に2007年度の企画はスタートしました。
UFJ財団の助成決定、文化庁の人材育成事業の決定など良いこともたくさんありましたがそれに伴う「演劇創造プロジェクト神奈川」主催の「フリンジフェスティバル」の詳細決定が非常に遅れ人材募集の告知が遅れたこと、高校演劇連盟主催企画などとのバッティングを避けた結果、8/16というお盆時期での公演という今までにない条件になってしまいました。
これが直接の原因で高校生が以前の公演のようには集まらず7/21時点で13人、つまり野外公演を成立させるには半分以下の参加人数になってしまいました。本来であれば中止という選択肢を選ぶ寸前でしたが、元高校演劇連盟事務局長である平沼高校演劇部顧問の吉倉先生より、施設が充実している平沼高校の小ホールで公演をされたら、というお誘いを頂きました。一宮さんと協議した結果、8/16をプレ公演、10/30.31を「フリンジフェスティバル」の一環としてテントでの本公演という結論に達しました。参加高校生とも協議の結果総意として第3回公演はプレと本公演の二回に分けての公演となったわけです。
本作品の演出プランは当初の目的通り変化させず、また過去二回で作り上げた小道具や大道具は高校演劇連盟で保管していただいておりました。ただし以前は20名以上で演じていた「群衆」が今回は7名であることを鑑み、1幕をかなり以前と違った演出方法を取り、それにより単独で「ペルシャの王子」、また以前にはないイメージシーンを創作いたしました。また今回は皇帝とペルシャの王子役に横浜を地場に活動し高い評価を得ているstudiosaltの俳優二名の参加を得ています
稽古日程
7/21(ZAIM)7/22(ZAIM)8/2(ZAIM)8/3(ZAIM)8/4(平沼高校)8/5(ZAIM)8/6(ZAIM)8/7(ZAIM)8/11(ZAIM)8/12(平沼高校)8/13(ZAIM)8/14(平沼高校)8/15(ZAIM)
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三菱UFJ信託地域文化財団 事務局長 浜本勇
『横浜ふね劇場をつくる会』より、当会と横浜市高等学校演劇連盟並びにルームルーデンスの主催によるエデュケーションプログラム第三回『トゥーランドット』公演への助成の要望を受けた。当会は、ふね劇場の常設化を目指すと共に、教育の場と結びついた演劇の可能性を探るため、平成12年10月から横浜市高等学校演劇連盟の先生達と共同で表現教育の確立を目指し、連続セミナー・ワークショップを行っている。その一環として、平成16年から劇団ルームルーデンスが企画している、同劇団を主宰している演出家田辺久弥氏指導による『高い水準の戯曲に携わり、プロと作品を創り上げる過程で演劇の素晴らしさを体験してもらう』エデュケーションプログラムを取り入れており、その取り組みを高く評価し、助成を決定した。
平成19年の第3回『トゥーランドット』の公演は、当初8月にパシフィコ横浜臨港パーク潮入の池を舞台に、高校生40人の野外公演を予定していたが、諸事情により出演者を公募する時期が遅れ、予定した人数が集まらず、野外公演は中止し、8月16日に県立平沼高校小ホールでプレ公演を行った。本公演は、神奈川県内の舞台芸術の活性化と、舞台芸術が市民の中に日常的に親しまれていくことを目指し、作家、演出家、俳優などが中心になって平成18年10月に設立された『演劇創造プロジェクト神奈川』が主催する第一回横浜フリンジフェスティバルの参加作品として10月30日・31日の二日にわたって、横浜赤レンガ倉庫近くに仮設されたBAY SIDEコンテナ劇場で行われた。
会場については、当初赤レンガ倉庫の側に巨大青テントによる施設を予定していたが、改正されたばかりの建築基準法に阻まれ、コンテナ劇場になったということである。
コンテナ劇場は、空き地に両サイドにコンテナを置き、鉄パイプの骨組みに舞台後方と座席後方、出入り口部分及び屋根部分をテントで覆い、200人程度収容できる階段状の座席を設けた簡易な施設であった。10月27日の台風で、屋根部分が飛ばされ、当日予定されていた公演は中止され、トゥーランドット公演は青天井で行われた。
公演日が高校演劇県大会の時期に重なったため、出演者は過去の参加者を含め13名で、主役の王子カラフとトゥーランドット役の二人は8月のプレ公演と同じ人であったが、他はほとんど新メンバーによる舞台となった。セットは、鉄パイプで組まれた工事現場の足場と同じ物で作られており、プレ公演の平沼高校小ホールと比べ、狭くて動きづらく、また、青天井のため風の影響や、汽笛や車の騒音が気になる。演技者のみならず観客にとっても厳しい条件下での舞台となった。当然演出もプレ公演とは大きく変更されていたが、場外からの声や照明を使った演出や、最後の場面では舞台後方の幕が引き上げられ、皇帝がお供と共にライトアップされ入場してくるなど、コンテナ劇場ならではの演出で観客を楽しませていた。平日でもあり入場者は50人程度であったが、スタッフの高校生達が飛行機の機内サービスのように膝掛けを配ったりと細かい心配りがなされていた。入場するときに米粒入りの紙コップが手渡されたが、最後に王子カラフとトゥーランドットがめでたく結婚することとなり、二人手を取り合って客席後方へ移動する場面で観客も一緒になって結婚を祝ってライスシャワーをするためのもので、空になったコップにジュースが注がれ乾杯するという演出であったが、これは田辺氏ではなく高校生のアイデアだろうなと思った。色々と悪条件が重なった中で、高校生達の熱演に会場からは大きな拍手が起こり、指導された田辺氏も満足そうな表情をされていた。来年は是非大人数での野外劇『トゥーランドット』を観てみたい。
田辺氏の演出だけでなく、裏方としても積極的に動きながら舞台を創る姿を見て、高校生達も演技だけでなく、色々な面で刺激を受け、人間として成長してくれることが期待される。そういう意味でも、このエデュケーションプログラムが毎年継続され、多くの高校生が参加されることを願いたい。
丹下一(迦樓羅舎) 演出家・俳優
地下鉄の駅からてくてくと歩いてたどりついたコンテナ劇場は、2005年にニューヨークのチェルシーでみたアート・エキビジョンのために設置された巨大なコンテナ・ギャラリー(今年、東京でも設置された)を思い出させた。
それはニューヨークのそれにくらべればとてもささやかなものだったが、内側の熱気は変わらなかった。「内側」というのは屋根が無かったからで、いわゆるテント空間の体内感覚とも違う、吹き抜けの天空に出演者たちの声は響いていった。
自分は夏に高校の体育館で上演された「トゥーランドット」上演にも立ち会っている。それは6月にエデュケーション・プログラムの「サロメ」を演出させてもらった経緯からである。
したがって今回の出演者にもなじみのあるメンバーがいて、彼らの成長ぶりを見ることができたのもうれしかった。
実を言うと前回の「トゥーランドット」では、演出者がなぜこの作品にこだわるのかもうひとつ理解できなかった。というのも自分は台本としての「蝶々夫人」や「トゥーランドット」があまり好きではない。人種的な偏見を感じるからである。
今回の舞台は、そこから一歩踏み越えた領域に達していて、「謎」を追い求めるロマン、それ自体が「恋」であり、「恋」は謎を追い求める旅、というメッセージを感じた。演出者はかなりのロマンティストであるに違いない。
その「ロマン」を追い求めるエネルギーがこの舞台を生み出したのだが、もちろん彼の熱だけでこの舞台が成立しているわけではない。
観劇中の率直な感想は「うらやましい」である。30年前の演劇が熱い時代の大学生演劇でもここまではできなかった。高校生が外枠だけでなく演技でも高いレベルを示し、鉄の塊に拮抗する時空間を自分たちの身体でつくりだしている体験は、たとえ彼らが演劇人への道を歩まなくても人生の中で得がたい体験になることは間違いないだろう。
国松里香 第一回横浜フリンジフェスティバル事務局スタッフ
高校演劇が好きで、時には国立劇場の全国大会に足を運ぶ。世田谷パブリックシアターで開催される、東京都の私立中高等学校の演劇発表会に行ったこともある。そこに何を見にいくのかと問われれば、思い出を、と答える。むろん、高校生が演じるからこそリアルさを備える芝居は多くあり、作品自体が胸を波打たせることもある。が、そうでない芝居のなかにも、10代の一途さは確実にある。それはすでに四半世紀も前、演劇部の活動のためだけに、中学高校に通っていた私自身と二つ映しだ。
エデュケーションプログラムの『トゥーランドット』は、発表会はもちろん高校演劇大会とも、全く異なる趣きの舞台だった。
ほとんどが10代の出演者たちは一途だったが、同時に極めて冷静に見えた。為すべきことを見据え、それに正しい方法でアプローチしてきた者特有の、凛とした佇まい、透徹した顔つき、強靭な背骨。そこにかつての自分と二つ映しになる要素は全くない。
プッチーニのオペラの歌詞を、そのまま台詞に置きかえたストレートプレイ。“高校生が演じるからこそリアルさを備える”タイプの芝居ではない。演劇大会に於いては、高校生が登場する等身大の演目が主流かつ魅力的であり、私も実際それ以外の芝居には、高校生がこれをやる意味がわからないと思ったことが何度もある。だがそれは、“高校生”という留保をつけて観劇していたからだと、この『トゥーランドット』を観て気付いた。
演出の田辺久弥氏は、「10代って本当はなんでもできる」と言っていた。劇的なものを生きる。それに年齢は関係ない。高校生から高校生という枠を取り払えば、どんな題材でもどんなスタイルでもリアルになる。独特の様式美が観客を幻惑に誘う田辺演出の中でも、その世界の於けるリアルさを、10代の出演者たちは獲得していた。
“名を秘めた王子”(松田俊彦さん)の、感情ほとばしる朗誦台詞のみずみずしさ。“トゥーランドット”(江頭麻美さん)の高い自尊心を具現した立ち姿。王子の父“ティムール”(須藤旭さん)は『トゥーランドット』3回目の参加者で、“皇帝アルテゥム”(東享司氏/劇団studio salt所属)とともに場を締めたうえ、喉の調子を保つ体調管理も淡々とやってのけた。“ペルシャの王子”(石井大海さん)は芝居冒頭、物語に観客を招くたったひとりの漫才で、客席の呼吸を見ながら場をもたせた。“役人”(古江麻梨さんと鈴木滉平さん)と狂言回しの“ピン/ポン/パン/プン/ペン”(藤森奈緒さん、皆川ちひろさん、三森伸子さん、長峰理子さん、丸山咲子さん)は、この芝居のダイナミズムの源だ。
オペラ『トゥーランドット』の登場人物は記号的で、各人の役割がはっきりしている。奴隷“リュー”(黒澤笙子さん)の記号は“犠牲”で、彼女は他者を愛に目覚めさせるために自死するのだ。いかにも涙を誘うシーンを、ストレートプレイで本当の感動に持ち込むには、出演者たちが物語を有機的に動かさねばならない。この『トゥーランドット』のそのシーンには、客席正面に向けた“リュー”の真摯な眼差しも加わって、確かな感動があった。
高校生が高校生を演じる作品にも醍醐味はある。彼らの体験を最大限に活かした演劇。高校生にしか演じられない芝居。しかしエデュケーションプログラムは、高校演劇とベクトルを異にする。体験から演劇を作るのではなく、演劇そのものを体験する。虚構でしか味わえない真実が、出演者たちの心身を貫いたに違いない。
舞台が見応えあるものとなったのは、田辺氏の手腕によるところが大きい。出演者のまだ充分とは言えない力量を、彼の鮮やかな演出は補って余りあった。高さを出した装置と、客席後ろにも設けた演技スペースは、劇場中を紫禁城にする効果を持つ。終幕に行なわれた、観客も加わったライスシャワーと乾杯により、客席に座る者も北京市民のひとりとなる。求心力の点ではまだ物足りない出演者に代わり、演出が観客を芝居の中に取り込んだ。壮麗な音楽も観客の心情のベースとなった。
上演日直前、劇場は台風被害に遭い、天幕は破れて飛び散った。あるはずの天幕がない状態での上演だ。よって急遽変えたという演出の数々。特に終幕、オープンにした舞台奥のさらに向こう、劇場外で滝のように流れた花火が印象的だ。明らかにマイナスの状況をプラスに変えた演出の、象徴のように美しかった。
今回の『トゥーランドット』は、“第1回横浜フリンジフェスティバル”参加作品としての上演だった。フェスティバルでは、特設のBay Side コンテナ劇場を主会場に、本公演10本と、フリンジ企画(参加資格がなく、希望する団体と個人のすべてに舞台を提供する企画)約30本が上演された。本公演にはプロ作品が並び、俳優座のベテラン女優が主演する新劇系の芝居もあった。
それらと同列に置かれた『トゥーランドット』。だからこそいっそう、高校生という留保のない目で見られたとも言えるだろう。また、傾向の違う作品が並んだプログラムだからこそ、この作品の特質と美点が見極められたとも言える。個上演なら観る機会を得なかったであろう、身内の範疇にない観客も、フェスティバル参加作品だという理由から『トゥーランドット』の客席に座った。わざわざ感想を送ってくれた人もいる。フェスティバルに参加してくれたことで、より多くの観客が、より多くのことを、この作品から感じ取ることができたと思う。
『トゥーランドット』がフェスティバルに参加してくれた意義は、他の団体のそれと同様に大きい。多様なプログラムは演劇の可能性や面白さ、奥深さを如実に示す。エデュケーションプログラム『トゥーランドット』は、演劇とはなにかという問いかけに、原点に極めて近い形で答えてくれた。
出演者たちは閉会式にも出席し、劇場内で引き続き行なわれた打ち上げでは、他の演劇団体関係者とともに乾杯をした。ジュースの入った紙コップは10代のものだが、彼らがその場にいることに違和感はなかった。特に王子役の松田さんとティムール役の須藤さんは長時間、多くの人と言葉を交わして気負うことなく楽しげだった。羨ましい、と思った。もし私が10代のときに、真の演劇体験や演劇関係者との交流ができていたら、たとえ演劇を続けなくても、その後に芝居を観る視点を、より深い位置に置けたに違いない。
彼らのような、鮮烈な体験を身に宿した10代が、ひとり、またひとりと増えてくれるといい。エデュケーションプログラムのますますの発展を祈りたい。
横浜市立みなと総合高校二年 江頭麻美
中学3年生の時に、桜陽高校版の「野外劇トゥーランドット」を観ました。その時わたしは、色々な意味で「びっくり」しました。野外でこんなに人を集中させることができるんだ、階段をこんな風に使うことができるんだ、提灯がとても綺麗だ…。しかもそれを、自分と2、3歳しか年の変わらない人たちがやっている。それはとても大きな衝撃でした。自分も高校生になったら、必ず参加しようと決心しました。
しかし、翌年の夏になっても募集はかかりませんでした。当時演劇部に入っていなかったため確認のしようがなかったわたしは、直接、横浜市高校演劇連盟の事務局に電話をして、その年は中止になったということを知りました。とても残念でした。大きな目標を1つ失って、暫く落ち込みました。
高校2年生になった年、エデュケーションプログラムの「サロメ」に参加しました。そこで演出家の田辺さんと出会い、「眼光の鋭い人だ」と思いました。今になって考えれば、中学生の頃のわたしの「びっくり」は、すべて田辺さんによって計画されたことだったのですから、もっと何か田辺さんに対して思うべきだったのかもしれません。「サロメ」では田辺さんの演出は受けませんでしたが、ルーデンス版の「サロメ」をプログラムに参加した高校生みんなで見ました。また「びっくり」しました。
「サロメ」の最終日に、「トゥーランドット」を今年はやる!ということを田辺さんから聞きました。中学生の頃から、ずっと待っていた作品です。わたしはとても嬉しくなりました。
そして迎えた、「トゥーランドット」の初日。集まった高校生は、「サロメ」に参加していた5人だけでした。その後も人の集まりが悪く、わたしは少し悲しい気持ちになりました。どうして誰もやりたがらないんだろう。とても良い経験になることは明らかなのに、と対象のない怒りを覚えもしました。結局、目標にしていた25人には達せず、8月にプレ公演をやって、10月に本公演をする、ということで話がまとまりました。
田辺さんにはじめに教わったことは、「真っ直ぐ立つ」「声を真っ直ぐ相手に飛ばす」でした。それは、言われてみればその通りで、とても納得できることでした。でも頭で理解できるのと、実際できるのとは違うことで、なかなか上手くいきませんでした。
田辺さんの言っていることは、「そうです、言われてみればその通りです。反論の余地もありません!」ということだらけでした。田辺さんの言っていたことで、わたしが納得できなかったことは1つもありません。演劇としても、人間としても当たり前のことを当たり前に言うことができる人を、わたしは尊敬します。ごまかしたり、嘘をついたりするのはとても簡単で、わたしもついやってしまうことだからです。
オーディションで、わたしは「トゥーランドット」の役になりました。希望していた役だったので、嬉しかったのですが、すぐに「ごめんなさい!」と思いました。ただ心から「ごめんなさい!」でした。自分に自信がなかったからです。中学生の頃に観た「トゥーランドット」が自分の中で大きくなりすぎて、それを越えられる自信がなかったからです。
稽古場に行くのが怖くなる時もありました。気付いたら意味もなく「ごめんなさい」と口にしている時もありました。カラフ役の人と上手くコミュニケーションが取れなくて、「わたしはどうしたらいいんですか?」ばかりを繰り返すこともありました。でも、そういう状態に陥ったとき、沢山の人が協力してくれました。田辺さんや、皇帝役の東さんだけでなく、みんなが励ましてくれ、相談に乗ってくれました。みなと総合の演劇部はとても人数が少なく、わたし自身も友達が多い方ではないので、あんな風に沢山の人に話を聞いてもらったり、笑いあったりするのは新鮮で、不思議な感覚でした。そして、「自分」のことばかり考えているのではなく、「みんな」のことを考えていかなくてはならないとやっと解りました。解ったつもりにはなっていたのですが、違いました。人と人とのつながりは大切です。解ってからは、「この人たちと、舞台上で生きていくんだ。」と思えるようになりました。
プレ公演を何とか越えて、本公演にこぎつきました。本公演の場所は、コンテナを組み合わせて、テントシートを被せて作った「Baysideコンテナ劇場」でした。まさしく「作った」という言葉にふさわしい劇場です。実行委員の人は泊まりこみで管理しているそうで、そういった人の気持ちを無駄にしないように全力でやらなくてはいけないと思いました。演劇創造プロジェクト神奈川の一宮さんを見ていると、一層強くそう思いました。いつも笑顔で話しかけてくださいましたが、とても疲れているように見えたからです。
本公演は、平日に行われました。日中、普段どおりに学校で授業を受けた後に本番がやってくるわけですから、切り替えが大変でした。授業中もずっと音楽が頭の中をぐるぐるぐるぐるぐるぐるしていて、廊下で台詞を口ずさんでしまうし、はたから見たら変な人でした。その2日間で行われた漢字テストは、受けた記憶すら曖昧です。
本番は、あっという間に始まって、あっという間に終わってしまいました。わたしは本番中に、言葉にはできない何かを他の役者や音や光やお客さんから感じました。その何かを、演技で伝えることができたと思います。それはつまり、「舞台上で生きていく」ことができたのだと思っています。
ペルシャの王子役の石井君のご両親が撮ってくださったビデオを、本番が終わった後にみんなで見ました。自分が他人からどう見られていたのかを知り、「自分まだまだでした!ごめんなさい!」と思いました。気持ちだけあっても、それを表現するのは難しいことなんだな、と改めて思いました。これからも精進します。
わたしはこの企画に参加して、「とても良い経験をしました。」なんて簡単な一言では表せないくらいの経験をしました。そしてこの経験を、もっと多くの人にしてもらいたいです。高校生がするから重要な意味があるのだと思います。そのために、後輩を勧誘したり、知り合いを誘ってみたりという協力をしていこうと思います。
最後に。「トゥーランドット」関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
横浜緑が丘高校二年 黒澤笙子
私は入学してからずっと、緑ヶ丘の先輩達から話を聞いてトゥーランドットに出たい出たいと思っていた。そして二年生になってやっと、出ることができた。
普段うちの学校の部活の部員は二人。より多くの人と劇を作りたいと、新しいことを知りたいと、そう思って参加した。
八月のプレ公演、人数が少なくて実施できるか分からなかったときにどうにか集まった仲間。初めて会う人ばかりだったけれど、一緒に舞台をつくる大切な仲間だと思った。そして群衆になって稽古をはじめた。けれど、なかなか動きやセリフが合わなくて、どうすればいいか分からなくなった。そして、そういう段取りに気をとられるあまりに、今度は空間のなかにいることが出来なくなり劇全体を壊してしまった。
今思えば、あの時は群衆の大切さをよくわかってなかったんだと思う。空間の中にいるつもりでも、結局頭のなかは動きでいっぱいだったのだから。劇で一番目立つのは主役、でもそれだけではいい劇は作れないということを、自分では分かってるつもりで分かってなかった。
それが分かったのは、本公演でリューを演じてから。いくら必死で演じようとしても、まわりの雰囲気がずれていると、どうしても違和感のある変なものになってしまう。逆にまわりの雰囲気がいいと、もっともっと高められていく…劇は主になる役者、まわりの役者、スタッフ、お客さんなど、たくさんのものが一つになってはじめて完成するんだと感じた。セリフがなくても、自然に自分が空間に居つづけられること、自分のことばかりでなく自分以外の人のことも考えられること、そういうことが出来れば皆が一つになれて、一つの大きな情熱が、お客さんに伝わるんだと思う。
本公演の二日目、『そっか、劇は情熱なんだ!』と改めて感じた。なんとなく今までと違ったから、空間が、雰囲気が、気持ちの高まりと共にある気がした。
そして、一緒にその空間をつくってきた、みんなが大好き。あのメンバー、あのお客さんは、本当に一期一会。二度とない、その時間だからこそ大切に、悔いの残らないように精一杯やりたいと、そう思った。
演劇だけではなく、普段の生活でもそれは大切だと思う。そのことを、いつも心のどこかに置いて忘れずに生きていきたい。
横浜市立みなと総合高校二年 佐藤瑞希
『トゥーランドット』を通して、私は少しぐらい成長したかなと思います。
私はその場の流れで物事を決める癖があって、『トゥーランドット』に参加したのも、主な理由がそれでした。
練習が始まって少し日が経って、早速後悔しました。こんな軽い気持ちで『トゥーランドット』に参加してて良いのかと、自分を嫌になった時もありました。でも、やりたいと思ったのは確かです。だからプレ公演は悔いの残らないようにしました。部活の顧問の先生が「一生懸命にやってるのがわかった」と言ってくれた時は本当に嬉しかったです。「大臣としては一生懸命すぎだけどね」と言われた時は、もっと大臣らしく余裕ぶってやらなきゃと意気込んだのを憶えています。本公演にも参加したいと思いました。
にもかかわらず、本公演の練習が始まるまでの一ヵ月間、個人的な理由から、『トゥーランドット』から気持ちが離れていきました。いつの間にか「やりたい」ではなく「やらなくてはいけない」になっていました。練習が再開されそれに参加していても、「楽しい」と思う反面(もしかしたらそれ以上に)「なんで私はここにいるんだろう」と思ったりもしました。今までそんなことを思ったことなんてないのに、気付けばいつもそうでした。楽しいのにどうしてこんなことを考えてる自分がいるのか解らなくて、こんなこと考えるぐらいだったら軽い気持ちで参加するんじゃなかったと、また後悔しました。
こんな気持ちでは、人前になんて出られない。あと一週間で本公演だという時に、私は辞めることにしました。でもなぜか完全に断ち切ることができなくて「手伝いはしたいです」と田辺さんに言いました。
それでも私はすっきりしませんでした。何も変わりませんでした。というより、辞めた後でいない人の分をやった時、純粋に楽しんでいる自分がいました。辞めた後に「やっぱりやりたい」と思うなんて、と腹が立ちました。そんな時に、それまで侍女のセリフを言っていた友人が私に言いました。
「侍女やってよ。」
それは練習だけなんだと思いました。確認の意味で田辺さんに「私、侍女やるんですか?」と聞きました。
「やってくださいよ〜。」
思わず「えぇーーー!?」と叫んでしまいました。辞めたのになんで!と心の中でも叫びました。でも、やったー!と思う自分もいました。流れに任せちゃえ!、と。そういう訳で、本公演では侍女として出さしてもらいました。あのやる気のなかった自分が再び『トゥーランドット』という舞台に立てたなんて、今でも信じられません。
ふと、ある人の言葉を思い出しました。
「演劇で食べていくわけじゃないけど、楽しいからやってる。」
私はまだまだ子ども。年齢もそうですが、精神的にも子どもです。後悔することだってあるに決まってます。それでも楽しむことができるなら、例え大人になってそれを仕事としてやらなくても、演劇を続けたいと思います。そしてその気持ちを、一人でも多くの人に伝えられたら、それこそ幸せなことなんじゃないかと思います。
横浜緑が丘高校一年 石井大海
初めての経験と云えば、このトゥーランドット自体も僕にとっては初めての連続であった、と云えましょう。中学時代からお芝居を続けて来ましたが、非日常を描いた演劇は初めての経験ですし、コロスが居る芝居をやったのも、又知ったのも、途中で役が変ったのも、あんな場所で芝居をやったのも、それから大入袋を貰ったのも、全部初めての事です。大入袋は何故か何処か懐かしい感じがしました。
呼吸の仕方、立ち方、科白の(と云うより日本語の)読み方等々。目なるほどなと思える事を沢山知る事が出来ました。この先それを消化して行きたい所存です。
そうそう、役が変わりました。プレ公演のティムールから、本公演ではペルシャの王子に。役交代の打診メールを、学校から帰る電車の中で受け取ったのですが、矢張り見た時はショックでしたね。とうとう来たかあとかこないだのデモで不味ったからなぁ…とか思う前にまず涙が溢れて来たのを憶えてます。…まぁ唯僕はあんまり引き摺る方じゃないので、実はこっちの役も気に成ってたし…元来落語が好きで芝居始めたし……とか何とか考えている内に自分の内で勝手に整理が付いて来ましたが。……ティムールを演じ切るだけの実力が付いてきたら、その時は再びこの役でリヴェンジしようと思ってます。
そう、落語です。落語とトゥーランドットにどう関係が……?と云う感じですが、何と今回は本編の前にペルシャの王子が落語で経緯《いきさつ》を解説すると云う演出なのです。非日常劇は初めての上に、こういう変わった演出も初めて。加えて劇場の特異性。プレ公演では学校のホール(客席が迫り出してくるんですよ!)、本公演では海辺に建てられたコンテナ劇場(バイクの音や汽笛・コンサートの喧騒など…)……普段の学校演劇では到底出来ない様な場所です。その土地の持つ"力"を使う田辺さんの演出。何から何迄新鮮です。29日劇場に入って舞台上に積み上がったイントレを見て、格好良いなあ、ここで芝居出来るなんて何て素敵なんだろう……そう思ったのを憶えています。
これは初めてと云う訳では無いですが、他の学校の人達やOG・OBの人達と共演が出来ると云うのも貴重な事ですし、又大きな利点ですね。普段学校の中に閉じ籠ってやってるダケでは出会えない人達との出会い。色んな人達と会い知り合うのはとても刺激的です。とても刺激的です。ましてやプロの演出家さんや俳優さんと一緒にお芝居を作って行けるなんてそんじょ其処らで出来る様な経験では決っして無いです。本当に素晴しい体験だと思います。いえ、思うのではなく事実素晴しい体験です。
そんな色んな人達と芝居を創っていけると云う良い機会なのに、私はと云えば自分の事ばかりイジイジと……上に書き散らした事から滲み出て来る様に、自分が自分がと……直さなければ。でも、それを自覚するに至っただけでも進歩だと思います。この事に気付けたのも、みなさんのお陰です。……何て云うといたく態とらしいですが・・・。
「答えは"わたし"では無く"あなた"の中に在る。其処ら中に宝はざっくざっく埋まってる」田辺さんは繰り返しそう云っていました。僕はその宝を少しでも見付ける事が出来たでしょうか。探そうとする事が出来て居たでしょうか。そして、誰かの宝たれたでしょうか。
最後に。一緒にこの芝居に関わった皆さん、本当に有り難うございました。不束者でしたが、最後迄辛抱強く見守って下さってありがとうござ
いました。又、御会いしましょう!そして願わくはこの活動がより盛んに成って行かん事を。
みなさんに栄光あれ
平沼高校一年 三森伸子
早いもので、トゥーランドット本公演が終わってからもう十日がたちました。今思い返してみると、私は第三回トゥーランドットで色々なことがわかったと思います。この報告書では、それについていくつか語りたいと思います。
まず第一に、「基本は難しい」。オーディションの日の午前中、まっすぐ立ち、まっすぐ言い、まっすぐあてるというものをやりました。やってみたところ、まずまっすぐ立つことが難しかったです。それに、まっすぐ立ってみると体の色々な所に気を使わなければいけなかったので、結構辛かったです。でも、この基本が出来るようになれば、本当の役者に近づけるのかな、と思いました。それに、これは日常生活でも大事な気がします。誰かに何かをまっすぐ言えたら、相手にまっすぐ伝わる。私は、これを絶対にマスターしたいです。
二つ目は「とてもいい人達に出会えたこと。」演出家の田辺さんは、色々なことを教えてくれて、私達の為に一所懸命になってくれました。同じ役者の人達は、私を色々助けてくれて、また、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。とても素晴らしい仲間です。特にプレのピンポンパン、本公演のピンポンパンプンペンでは、心を一つにすることを実感させてもらいました。
三つ目は、「お客さん」。本当にこの人達がいなければ全ては始まらないな、と思いました。プレの時、本公演の時、お客さんが目の前にいると、稽古の時以上に張り切ることが出来ました。また、お客さんと一緒にいるとこんなにも楽しいんだなぁと思いました。私は、お客さんを愛しています。
本公演の打ち上げの日、私は田辺さんから大入りをもらいました。私がこれに参加した証し、初めてもらった大入り、本当に本当に嬉しかったです。
あれ以来、私は嘘をつかないことに努力しています。意外と、これも難しいなと思いました。また、日常でも「まっすぐ」を心がけています。これが、芝居に活かせるようになって、いつかたくさんの人達に感動を与えられるような人になりたいです。また、十七日の県大会で、このトゥーランドットで分かったことを活かしていきたいです